桑の実幻想2007/06/23 20:18

夕方、しげやんの牛舎へ、そうべえを車に乗せて送る。

そうべえは、預けておいた牧草ロールを、トラクターで運ぶ段取りだ。

車から降りしなに、そうべえ、おかるに声をかける。

「車をもう少し奥に止めて、外に出てみな」

おかるは、何のこっちゃ?と思いつつ外に出て歩を進める。

目の前にあったのは、大きな桑の木。黒く熟した実が見える。

おかるににとっての桑の実は、ちょっぴり後ろめたい味のする思い出だ。小さかった頃、たった一度だけ、おとっつあんと道端の桑の実をこっそり食べた。

甘酸っぱい味が心に焼きついた。もう一度桑の実を食べたいな・・そんな思いが膨らんでいく。

「うちにも桑の木、植えてみっぺよ」

おかるは何度となくそうべえに頼んでみた。だが、そうべえは首を縦に振らない。

きょうはたまたま、しげやんのとこの桑の実が熟したの見て、おかるの願いを思い出したのだ。

おかるは、目の前の桑の木から、熟した実をいくつか採った。

わくわくしながら口に入れた。あの日の、甘い味が甦る・・はずだった。

「あれ?酸っぱ・・」

「ほらな、そんなにうまいもんじゃないだろ?」

後ろに立つそうべえの、そらみたことか!という、顔。

桑の実の味は、思い出の中の夢幻。

おかるは、鮮やかな紫に染まった指先を見た。

おとっつあんと桑の実を食べたあの日の風景が、くっきりと脳裏に浮かんでくるのだった。