見守る2010/09/14 16:18


そうべえが、子牛市場に出かけた。
お産になりそうな牛が2頭、おかるの預かりとなった。
山の1頭はいくら待っても気配なしだったが、家の近くにいる1頭は昼前に無事生まれた。
ところが、初産のせいか母牛がひどく神経質になっていて、子牛が乳を飲みに行っても、後ろ足で払ってしまう。
グーグーと、母牛特有の鳴き声を立てるので、母牛本能スイッチは入っているはずだ。
それでも、油断はできない。育児放棄から虐待に発展することは、牛の世界でもあり得る。
そうべえに、「どうする?」と指示を仰ぐと、「見てて」という。
「見てる以外に何かすることは?}と聞けば、再び「見てて」という。
「見てるだけでいいの?」とさらに問えば、「そう!」という。
おかる、じっと見守ることにいたしました。
するとほどなくして、あきらめずに乳のところへ行く子牛の姿に、母牛の本能ギアがさらに1段階かちりと進んだ様子。
子牛のお尻をなめて、静かに乳を吸わせるようになった。
そうなんだなあ。見守るって、ほんに大事なことなんだなあ・・。

コメント

_ ふじ ― 2010/09/15 09:26

そうべえ様かっこいいですねえ。唸ってしまいました。
視線に圧力があるとは感じていましたが,見守りのまなざしに本能を呼び起こす力,本来の姿に目覚めさせる力があることを改めて確認できました。
思いが届くって本当にうれしいですよね。今日もどじょう日記に感謝です。

_ どじょう ― 2010/09/15 20:07

>ふじ様 いえいえ(汗!)、過分なお言葉です!
牛は臆病なので、飼い主がそばにいると、少しは安心するようです。でもやっぱり、人間も根っこは同じかもしれないですね。
どじょうなど、いつもこらえ性がなくて、牛にいろいろなことを教えてもらってばかりです。

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