地震7日目 ― 2011/03/17 14:24
今朝通電しました。ご心配本当にありがとうございます。
地震当時、震度6強の名取で被災しました。
店の中で体が飛ばされ、出口がそばに見えても、這って進むことさえできません。
テーブルの下に潜り込んだものの、そのまま激しく揺さぶられ、波打つ床の上で転がり続けました。
世界が壊れたか!と思いました。
なんとか外に出て、頭に浮かんだのは、名取が海寄りであること。
すぐに車に乗り、4号線を2時間かけて家にたどり着きました。
車の中でも、手の震えは止まりませんでした。
家屋の倒壊はなく、山水を飲み、とりあえず生きることはできています。
強い余震に加え、ろうそくの明かりだけの夜は、不安に胸が締め付けられそうになるときもあります。
ガソリンも次第に減ってきて、移動に制限がでてきています。
それでも、農家が力を出し合い、直売所を開きました。
作ったおにぎりには、あっという間に手が伸び、店内の商品も残り少なくなってきました。
沿岸部の被害の前には、今こうして生きていることさえ、奇跡のようです。
原発のことは心配ですが、ガソリンもなくどうすることもできません。
たくさんのものを背負って生きる覚悟をしなければならないと、自分にも言い聞かせています。
先日会いに行ってきた、福島の父が言いました。
「焼け野原から日本は立ち上がってきたんだ。大丈夫だ」と・・。
気落ちする私に、次女が言いました。
「できることをやろうよ。それが、復興につながるんだよ」
福島から帰る道々、果樹の剪定をしている農民がいました。
角田でも、田んぼを耕うんする農民もいます。
それが、農民というものだと思います。
いただいたたくさんの
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